上皇のご学友、明石元紹氏(87)さんの、皇室への嘆きは以前も週刊誌に掲載されていたけど、

今回は女性自身誌が書いている。

上皇のご学友明石元紹

この方は元華族。おじい様は元陸軍大将。日露戦争後は第7代台湾総督に就任。お父さんは貴族院議員。お母さんは子爵のお嬢さま。

見出し

皇室終焉

女性自身皇室終焉小室圭

小室の代理人弁護士、上芝氏によると「会見の予定もありません」そうです。4月に発表した金銭トラブルの文書以上の説明をする機会は、今のところはないという――。

母親は金を返したくないので、長期で入院してると嘘ついて逃げ回っているし、会見なんて出来るはずないだろさ。それにしても、誰が弁護士の金を払ってんだろ?眞子サン以外ないような気がするんだけど・・。

静岡福祉大学名誉教授で皇室に詳しい歴史学者の小田部雄次さんは「国民からの信頼を失ってしまったことが大きな問題」と語る。

 

 

 

結婚したら平民になるのに、なんでそこまで反対するのかとテレビで発言したアホがいるけど、このコロナ禍で公より私を優先し、自分たちさえよければいいという態度を貫き続けていることに大きな問題があることに、コメンテーターは気づいていない。

「説明文書などで小室さんは自らの正当性を示そうとしてきましたが、国民が求めていたのは人としての誠実さや信頼でした。眞子さまも国民からの不安の声を聞き入れることなく、そういった状態でお二人が自分たちの結婚の実現に突き進んでいったことで、さらに不信感が強まってしまったと思います」

コロナ禍でご公務が激減しているとはいえ、眞子さまと小室さんの動向ばかりが注目を集めてしまっている令和の皇室。

「私たちの知っていた“昔ながらの皇室”は、もう終わってしまったのかもしれません」

そう語るのは、上皇陛下と学習院の幼稚園時代からのご学友である明石元紹さん(87)。高等科の馬術部ではともに汗を流すなど、長年にわたる交流を続けてきた。

「私たちにとって皇室の方々は、生まれたときから一般の国民とはまったく違う存在でした。どんなときも『私』より『公』を優先する、特別な存在です。

私が生まれたのは、日本という国が天皇を中心に回っていた時代です。終戦時には疎開先の奥日光で、当時皇太子だった上皇陛下はGHQの占領下でどうなってしまうのか……、という状況も間近に見てきました。

戦後、皇室の置かれた状況は大きく変わりましたが、無私の精神で国民の幸せを願う存在であるという根幹は変わっていなかったはずです。そういった精神を持った皇室が日本国と日本国民の象徴としてずっとあり続けるのだと思っていました」

皇室が「特別な存在」ではなくなった

だが、皇室のあり方は戦後、少しずつ変わってきた。上皇陛下と美智子さまのご成婚は“テニスコートの恋”といわれ、新たな時代の到来を印象づけた。これまでの皇室の家庭とは違い、自ら台所にも立ち、子育てをされる美智子さまは、国民からたいへんな人気を得た。

平成に入ってから、地震や台風の被災地へのお見舞いで避難所を訪問された際には、上皇ご夫妻は膝をついて被災者と目線を合わせてお話しされた。国民に寄り添う姿勢は令和の両陛下にも引き継がれており、NHKの世論調査('19年9月)では、皇室に「親しみを感じている」との回答が71%に達している。

「平成の皇室には、国民と同じような私生活を送ることで、国民の生活を理解しようという考え方があったのだと思います。皇室と国民の距離は近づき、国民は皇室に親しみを感じ、支持するようになりました。ただ、振り返れば、はたしてそれでよかったのだろうかと考えたりもします。

今の秋篠宮家と眞子さまの状況をみるに、一般の国民と同じように『公』より『私』を優先されていると感じます。これでは一般の国民と変わりません。

もはや皇室は、特別な存在ではなくなったということです。

コロナ禍で今まさに国民が苦しんでいるときであるがゆえに、『私』の優先が際立っていると思います。

『公』を優先させる生き方というものが、皇室の中で継承されなかったのであれば、それは残念なことです。

 

 

 

『公』を優先させる生き方が、皇室の中で継承されなかったのであれば、ただのセレブ集団になってしまう。なんで尊敬に値しないセレブ集団が税金で圭活を保証されて、有事には我先にと、逃がしてやらなきゃならないのか?と思ってしまう。

 

せめて、戦後の長きにわたって皇室がなぜ国民から支持され続けたのか、長い歴史を振り返って考えられる人物が皇室をお支えしていれば違っていたのかもしれません。

一般の国民と同じように私的に何でもできるというのであれば、皇族の生活を税金で支えるのはおかしいのではという考えを持つようになる人もいるでしょう。

国民のために働いていただくからこそ、皇室は特別な存在となり国民の尊敬や支持が得られるのではないでしょうか」(明石さん)

日本社会がもはや皇室を必要としていない?

「私」を優先するという価値観は、眞子さまだけにみられるものではない。

佳子さまは'19年3月の大学卒業に際しての文書で、宮内記者会からの「(結婚の)お相手はいらっしゃいますか」との質問に対して、《相手がいるかについてですが、このような事柄に関する質問は、今後も含めお答えするつもりはございません》と回答拒否。恋愛や結婚という「私」の領域は絶対に侵されたくないという強い意志を感じさせた。

また、佳子さまはこのとき、眞子さまの結婚について《姉の一個人としての希望がかなう形になってほしい》と述べられた。秋篠宮さまも結局、佳子さまの発言と同様に眞子さまの意思を尊重され、小室さんの金銭トラブル解決を待つことなく結婚を許した。もはや皇族であろうとも「私」を抑えつけるわけにはいかないという現実が浮き彫りになったのだ。

一方で明石さんは、皇室の変化の背景には、社会の変質もあるのではないかと語る。

「『私』を捨てて『公』に尽くすという皇室が、いまの日本社会のなかであまりに異質になってしまったのでしょう。もう、特別な存在としての皇室は必要とされない、もしかするとあってはならない存在になっているのかもしれません」

私たち国民は、皇族方ばかりに自己犠牲を強いてきたのかもしれない。明石さんが「終わってしまった」と語るように、私たちも、無私の精神で敬愛を集めてきた皇室の“終焉”をいずれは受け入れるしかないのだろうか――。

「女性自身」2021年6月8日号 掲載

ぺんぺん草の独り言

天皇は浩宮時代から、将来天皇となるべく、私より公が優先するという教育を受けて来たと思う。雅子さまと結婚し、なかなか世継ぎに恵まれなかったことから、雅子さまが鬱になられ、小和田からの圧力もあり、板挟みで随分苦しかったと思うけど、会見ごとに次回は雅子と一緒に来たいとおっしゃって、雅子、愛子を連呼し、天皇も私が出てくるときが多々あった。

それと比べて、紀子さまは健康そのもので、公務を休むことなくこなしていたので、ご立派と思っていたけど、秋篠宮殿下は、紀子嬢と結婚出来なかったら皇籍離脱するとごねて、その結果、昭和天皇の喪中に婚約内定会見をしてたんだけど、これも思い返すと確かに相当、公より私を優先したことだったと思う。

次男坊だから、まさか、皇位継承が回ってくるとは思っておらず、周囲も思っていなかったんだと思うね。

秋篠宮殿下は「私」より「公」を優先することを教育されたとしても、あまり頭に残らなかったということなんでしょうね。秋篠宮殿下と紀子さまが、子供が、「公」より「私」を優先し、国民の幸せより、一個人の幸せを追求する生き方を求め、それを容認して来たと思われても、仕方ないわね。

次男坊ってのは、兄は天皇になれるのに、僕はなれない、ということで、ヒガミのようなもので、心が穿むのかもね。

イギリスでは、ウイリアム王子に子供が3人生まれたからウイリアムの直系が王位を受け継ぐけど、もし、ウイリアム王子に子供がいなかったら、ヘンリーに順番が回って来てたのよ。

帝王学と最も遠い人が王となり、メーガンが王妃になり、王室の悪口を教えこまれた子が王様になるところだったんだわ。

秋篠宮家は天皇家になる教育はなされておらず、ふさわしくない一家なんだわね。上皇のご学友明石さんは「皇室は終わってしまった」と語るように、もうすでに終わっているんだわ。

眞子サンには「無私の精神」など微塵もなく「無公の精神」の人だったことがばれてしまって、秋篠宮家はもう終わりだと思うよ。悠仁さまだけは立派に育っておられる、と思うのは、たんなる希望的推測だよ。

血筋的には天皇になる資格があるから、なるんだろうけど、我儘で横暴な天皇にならなきゃいいけど・・・と思うよ。

今後、破談にしても、眞子サンや佳子さまへの教育がズサンだったことが判明し、両殿下は恥ずかしいね。しかし破談にしなかったら、更に恥が重なっていくよ。

破談にするとはっきり殿下が言うべき。

憲法を持ち出して、結婚を認めると殿下は発言されたけど、それなら、納税の義務はどうなっているの?都合のいいことだけ、憲法を持ち出すのはやめてほしい。

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