小室Kが登場するまでは、秋篠宮家について醜聞なんて全くなかった。休むことなく真摯に公務を遂行されるご一家は正当に評価されていたわね。

一方、皇太子ご一家(当時)は雅子さまが長きにわたって、公務はしない、気が向けばドタ出、ご静養は皆勤賞。

愛子さまのために、ディズニーランドを貸し切り、雅子さまの妹一家と共に遊び、スキーはホテルを全館貸し切り。

愛子さまのためなら力が出るみたいで、愛子さまがいじめられていると愛子さまが自己申告したことを真に受けて、毎日一緒に学習院に登校し、給食は二人で特別室で食べて午後の授業も参観して帰ってくるので、疲れてますます公務が出来ない。

愛子さまは親に付き合って毎年、須崎御用邸、那須御用をハシゴ静養。

夏休みギリギリまで遊びまくるので、宿題が出来ずに、夏休み明け、ひと月不登校は毎年の恒例。

雅子さまの昼夜逆転生活に合わせて、夕食は夜中の0時。朝眠いので起きれなくて毎日遅刻。

当時はこれらを週刊誌に書かれて、これが、いわれなき中傷記事に苦しめられたということになっているけど、事実を書かれただけだったわね。

それが即位されて天皇ご一家となったら、あらま~絶賛賛美であふれ、愛子さまが中学時代に書いた作文まで絶賛されて、世界平和に寄与することを期待するとまで持ち上げられて、

KKのために秋篠宮家が何をしても批判ばかりされて、なんでこうも、変わっちゃうのか、恐ろしい。

見出し

愛子さまの作文

愛子さまの中学時代の作文が再びクローズアップされたのは、

天皇皇后雅子さま 国連の軍縮部門トップと面会2

天皇皇后が国連の軍縮部門トップの女性のご進講を受けられ、その時、愛子さまが書いた作文を渡したから。

それを中満泉さんがtweetしたから。

そこらあたりから、愛子さま絶賛が再炎しているのよ。

では、愛子さまの作文がどんなものか、読んでみましょう。

愛子さまの作文全文

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。

雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。

このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。

原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。

まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。

ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。

平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。

これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。

命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。

最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。

その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。

オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。

私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。

平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。

この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。

間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。

平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいだろうか。

何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。

なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の生活の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。

「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。「平和」についてさらに考えを深めたいときは、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。

ぺんぺん草の独り言

見事な作文ね。

これを書くほどの知能がある人はきっと、東大に軽く合格するんだろうな~と思ったら愛子さまの作文だったわ。

素晴らしい作文だわ、雅子さまがんばったわ。推敲に推敲を重ねられたんでしょうね。

愛子さまがまだとても小さかった頃、お正月の写真撮影で、愛子さまが眞子さまたちとすごろくをなさったことがあったんだけど、眞子さまが愛子さまのお手伝いをしてあげようとしたら、雅子さまが間に割り込んで、眞子さまの手を払いのけたシーンがばっちりYoutubeで見れたのよね。

今探したけどわからなかった・・・けどね。

雅子さまはかなりの負けん気の方ね。

毎年、宮内庁の文化祭?では悠仁さまがご立派な作品を出されるし

悠仁さま信号機

平民からみても、嫁同士の競争だろうなって思ってたわよ。

批判を覚悟で書くけど、悠仁さまの信号機も、悠仁さまだけでこれらを一人で作れないわよ。宮内庁職員と共に作ったとちゃんと公表されてはいるけど、設計など、難しいところは大人の手が入っていると思う。

愛子さまの作文も、筑波や開成の子なら書くかもしれないけど、大人が手伝うというか、書かせた感が満載よ。

子供の作文や、工作の宿題を親がやるのは、よくあることで、わたしも子供の頃、母親が兄弟全員の夏休みの、習字と絵、工作の宿題をやってたわよ。

兄なんて、母が書いた習字で特賞をもらって、長い間、その習字、小学校の玄関に飾られてたもんね。

マスコミもわかっていると思うよ。しかしそれをみんなで絶賛する。もし全文愛子さまが書いていたとしても、中学生の書いた作文をここまでみんなで賛美するのって近くの国のエライ人みたいやん。

皇族だからってご立派だと、誰も思ってないよ。重要なのはお血筋。尊敬するのはその一点。それを繋げていくことが皇族のお仕事よ。それをやって頂戴。

おすすめの記事