皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさんが亡くなられました。享年88。美智子さまに寄り添ったアゲアゲ記事の記者でありました。
美智子さまは今までは、親しくした方が亡くなったら、葬儀前にお忍びで弔問にいらしていたけど、今はコロナ禍だし、ジャーナリストの葬儀に行くわけにいかないので残念だろうね。
マスコミに取材をさせたうえでのエセお忍び行動だったが、もしかしたらホントのお忍びで遺族にメッセージくらいは送っているかもしれないね。
葬儀は関係者によって執り行われたそうです。
見出し
皇室ジャーナリスト・渡邉みどりさん死去
渡邉さんは日本テレビで皇室報道や昭和天皇崩御の特別番組の責任者を務め、退職後はフリージャーナリスト、評論家として60余年にわたり皇室や各国王室について著作やテレビ番組などで精力的に発信を続けてきた。
特に、美智子さまに関する多数の著作物を残した。
著書に『心にとどめておきたい 美智子さまの生き方38』(朝日文庫)
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『英国王冠をかけた恋』(朝日文庫)などがある。
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関係者によると10月初めごろ、編集者が都内で独り暮らしをしている渡邉さん宅を訪ねたところ、リビングで倒れている渡邉さんを発見し、警察に通報。
検死解剖や自宅の様子から、亡くなったのは9月30日昼ごろと推定されているという。死因は不明だが、事件性はないとみられている。お別れの会は後日、開かれる予定。

孤独死だったんだ・・・・。
渡邉さんは2019年に週刊朝日のインタビューで、自身と同じ1934(昭和9)年生まれの上皇后・美智子さまについて
「皇太子殿下(当時)との結婚が発表される以前からその名前を存じ上げていました」と明かし、
日本テレビ入社3年目に中継スタッフとして携わったご成婚祝賀パレードをきっかけに皇室特番の制作に進み、
「強い思い入れを持って、美智子さまを追いかけ続けることになりました」と語っていた。
そのほか同インタビューでは、元国会議員の故・古屋亨氏の婚外子であることを告白し、「普通の家庭への憧れ」が仕事に励む一つの原動力になっていたことを語っていた。
渡邉みどり(わたなべ・みどり)/1934年、東京生まれ。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。80年、ディレクターとしてドキュメント番組「がんばれ太・平・洋─三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟賞テレビ社会部門最優秀賞受賞。59年の皇太子成婚パレード中継など皇室報道で活躍し、昭和天皇崩御報道では総責任者
ぺんぺん草の独り言
ご自宅で亡くなったと書いてあったので、家族に見守られ、自宅で死ねるほどの幸せな最期はないと思ったら、亡くなって10日以上たって発見された孤独死だった。
渡る世間は鬼ばかりに出ていた野村昭子さんも、自宅で一人で亡くなった。この方は病んで寝込むことなくあっという間になくなって羨ましいと思ったが、渡辺みどりさんはなんとも寂しさがあふれる。
しかし、ともかく人は一度は必ず死なねばならないので、ボケて悲惨な末路になったり、ガンでのたうち回って苦しんだ末に亡くなったのではないので、いい最期だったのではないだろうか?
数々、醜態をさらした末に、親族にぐるりと囲まれて死ぬことが、幸せとは限らないのですよ。
渡辺みどりさんは仕事で成功し、幸せな人生だったと思う。ご冥福をお祈りします。