7月2日、天皇陛下は7月2日、東ティモールとマリの大使の信任状捧呈(ほうてい)式に臨まれた・・と思われます。こんな書き方になってしまうのは、朝日新聞が皇室週間予定で発表していただけで、どこもこの東ティモールとマリの大使の信任状捧呈について書いていないから。
天皇の大切な公務だから報道してほしいわね。
見出し
東ティモールとマリの大使の信任状捧呈式
宮内庁は6月29~7月5日の予定を発表した。天皇陛下は7月2日、東ティモールとマリの大使の信任状捧呈(ほうてい)式がある。新型コロナウイルス感染を防ぐため、出席者は全員マスクを着用し、大使の送迎は馬車列ではなく自動車列で行う。(表記は宮内庁発表に準じます。予定は変更されることがあります)
予定は変更されることがあると書いてあるので、変更されたかもしれないけど、せっかくだから、東ティモールとマリについて、ちょっと調べてみることにした~。
東ティモール
東ティモールは島。
出典:Google
世界中から見たらインドネシアとオーストラリアの中間あたり
出典:Google
無知が恥ずかしい・・・
歴史的にここも旧ユーゴスラビア以上のややこしさ・・・。
正式名称は東ティモール民主共和国
★16世紀にポルトガルによって植民地化
★その後オランダが進出
★1859年に西ティモールとソロール島をオランダに割譲したことで、ティモール島は東西に分割された
★第二次世界大戦時には、当初はオランダ軍とオーストラリア軍が占領
★ティモール島の戦いのあとオランダ領東インド地域と合わせて日本軍が占領したが、日本の敗戦によりオーストラリア軍の進駐を経てポルトガルが支配
★1949年にインドネシアの一部として西ティモールの独立が確定したあともポルトガルによる支配が継続
★1975年11月28日、右派勢力と連携したインドネシア軍が西ティモールから侵攻を開始する中、フレティリンが首都ディリで東ティモール民主共和国の独立宣言を行う。
★同年11月29日、インドネシア軍が東ティモール全土を制圧併合
★1976年、インドネシアが27番目の州として併合宣言を行う
★解放運動と反対勢力の間の紛争(東ティモール紛争)が勃発
★ヤヤコシイ紛争が20年ほど前まで続き、やっと2002年独立。
出典:東ティモール紛争
言語
言語はテトゥン語とポルトガル語が公用語。
マリ共和国
出典:Google
言語
公用語はフランス語
★自国領としていたセネガルからセネガル川をさかのぼって侵攻してきたフランスは1880年にカイに首都を置く
★1890年にはこの植民地はフランス領スーダンと改称。
★フランス植民地期には綿花の栽培が推進され、また内陸デルタでは水田開発が行われた。
★第二次世界大戦後、植民地独立の動きが広がる中でマリでも独立への動きがはじまり、1958年にはフランスの自治国スーダンとなった。
★1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立
★1960年6月、隣国のセネガルと共に、マリ連邦を結成し、フランスから独立[
2012年には部族間の紛争が続きヤヤコシイ
ぺんぺん草の独り言
東ティモールもマリも、次々いろんな国に植民地化されて、ややこしい。植民地化してきた国は謝罪や慰謝料を払ったんでしょうか?
日本は何度も何度も謝罪し、お金を払い続けてますけど。
東ティモールとマリ両国の大統領は天皇陛下と面会し、お言葉を頂き、幸せだったことでしょう~。もし新型コロナさえなければ、馬車列で送迎してもらえたのに、それは残念でした。
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