小室圭は、眞子サン個人にはぴったりの男だけど、内親王の結婚相手にはふさわしくないことは、様々な報道が出る前から、感じていた。

週刊女性が、小室圭の母親佳代氏が婚約詐欺まがいのことを繰り返し、元婚約者から金を返してほしいと言われていることが記事なった時、あ~やっぱりそういう人だったんだわ、と思ったもんね。

しかしそんな親子に眞子サンはいつまでも執着して、何が何でもKと結婚したいみたいですわね。

62年前にも、眞子サンと同じく格差のある男性と結婚することを選択した元女王がいたことを、女性自身誌が特集している。久邇通子さんという方で、皇太后の久邇家の出身の方。

駆け落ちした久邇通子さん元皇族

42年前、女性自身が特集し、眞子サンの状況と似ていると、再度、記事にしているけど、久邇通子さんの結婚と眞子サンは全く違うと思うよ。

平民と駆け落ちした久邇通子さんの話の前にちょっと久邇家の家系図を~見て学習しました・・・。

見出し

戦前の11宮家

旧皇族家系図

久邇家の家系図

久邇宮家家系図

久邇通子さんの家系図

久邇宮家家系図その2

つまり、62年前、平民と駆け落ちした久邇通子さんのお父さんは香淳皇后ときょうだいで、久邇通子さんは香淳皇后の姪。今上天皇のお后候補だった久邇晃子さんは久邇通子さんの姪のようですわね。

62年前に“駆け落ち婚”した元皇族

62年も前に眞子さまと同様の選択をした“元女王”がいた。名前は久邇通子さん(87)。

香淳皇后の兄にあたる久邇宮朝融王の第三王女で、かつては久邇宮通子女王殿下と呼ばれていた。久邇宮家は戦前に11あった宮家の一つで、東京・渋谷の邸宅は2万坪超の敷地を誇った。

しかも、彼女は“もうひとりのミチコさま”と呼ばれていたこともある。

上皇陛下とは、いとこ同士で学習院幼稚園の同級生。そんな縁もあって、お妃候補として名前が挙がったことがあったのだ。

これだけの立派な出自で平民と結婚するのは当時、あり得ないことだったと思うけど、上皇とはいとこ同士だし、近親婚が続くことは、ガンが多発したり、遺伝子的によくないことだと思うよ。

だが、通子さんが選んだ相手・Nさんはまったくの“平民”だった。学習院大学に通っていたNさんではあったが、父親は平凡なサラリーマン。元皇族との境遇の差は大きかった。

通子さんは、父や叔父、叔母にも取り合ってもらえず、結婚の許しが出ないまま月日が過ぎた。家族の中で唯一の味方はすぐ下の妹たった一人だったという。

すぐ下の妹さんは典子女王ね。この典子女王は高円宮家の典子さんとは別の人。
大学で出会った一般人男性と恋に落ちるも、家族からは結婚に反対され、味方は妹だけ――。佳子さまの応援だけが頼りといういまの眞子さまの境遇とぴったり重なってくるのだ。近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんはこう語る。

「通子さんは戦後、皇籍を離脱したとはいえ香淳皇后の兄の娘という天皇家に非常に近い存在でした。一方で、そうした特権的な世界に育ったことに戸惑いや窮屈感を覚えていたようです。当時は、結婚は親や周囲の大人たちのすすめで決めることであり、双方の家の経済的地位や格式などのバランスが強く求められていました。そうした中で通子さんは、個人の自我や自立を求めて行動した稀有な女性といえます」

猛反対を受けていた通子さんだが、転機となったのは父の危篤だった。病室に駆けつけると、婚姻届を渡された。やっと結婚の許しが出たのだ。Nさんと出会ってから約6年の月日がたっていた。

出会って6年目に平民と結婚

新居は東京・飯田橋の2部屋しかないアパート。ほとんど身一つ、家族からの援助も受けずに2人の新婚生活は始まった。父が通子さんと親交があったという旧華族の女性はこう述懐する。

当時はすでに皇籍を離脱していたから、眞子サンのように皇籍離脱一時金なんて支給されなかったのよ。

「私の父が通子さんのことを話していたことを覚えています。結婚するときに通子さんは

『家名を汚した、二度とこちらに戻ってくるな』 『連絡もしない、手紙も書いてこないように』

と言われたのだそうです。お金の無心をするなという意味だったのでしょう」

仮に眞子サンが小室圭と結婚して、秋篠宮殿下と紀子さまが、娘に『家名を汚した、二度とこちらに戻ってくるな』『連絡もしない、手紙も書いてこないように』金の無心をするな、と、はっきり言えるでしょうか?そっと援助する可能性が高く、小室佳代に涙を見せられ、それにほだされた眞子サンが実家に金の無心をし続ける可能性はないと言い切れるでしょうか??

通子さんは結婚前から始めたタイピストの仕事をしながら、なれない炊事や洗濯をする生活を楽しんでいたという。

だが、結婚生活は長くは続かなかった。たった4年ほどで2人は別れることになってしまったのだ。

通子さん自身は本誌に《憎みあって別れたのではないんです》と、多くを語ってはいない。一方、当時本誌はお相手だったNさんにも話を聞いている。

《わたしはね、久邇家の親族すべてに反対されながら、それを押し切って嫁入りした彼女を、どうしても幸福にしなければ、と思ったんです》

Nさんは懸命に働き、1カ月で174時間の残業をしたこともあったという。2万坪の宮邸には及ばなくてもそれなりの邸宅を建ててあげたい――。Nさんはそんな“野心”を抱いて仕事に打ち込み、超猛烈社員になってしまったそうだ。

だが、通子さんは物質的な豊かさを求めていなかった。《別れましょう。あなたは社会人としては優秀ですけど、夫としては失格です》と告げ、通子さんは家を出た。

働かなくては衣食住が手に入らないことを雅なお育ちでご存じ、なかったんじゃない?

あれほど周囲の反対にも負けず、結婚の意志を貫き通したにもかかわらず……。2人の結婚生活、そして10年ほどにわたる純愛は終わりを迎えてしまったのだ。

「小室さんを運命の相手だと疑わない眞子さまですが、一緒に結婚生活を始めてから、意外な価値観の相違に気づくことになるかもしれません。弁護士になるという夢を追い続ける小室さんが、どのくらい家庭を大切にしてくれるのかも、気になるところです」(前出・皇室担当記者)

皇族と価値観が同じ人なんて平民にはいない。小室が弁護士弁護士とアホの一つ覚えのように言うのは弁護士になれば、自分を認めてもらえると勘違いしているから。弁護士志望だって、婚約内定前後から、パートだとか、パラだと、バカにされたと思い、周囲を見返してやりたい一心なんでしょ。しかし日本ではその資格は使えない。結局はパラのまま。だから私は弁護士です、と口で威張って、国連に勤めようともくろんでいるんだと思うよ。

実は、通子さんの物語には続きがある。32歳のとき、通子さんは職場で出会った6歳年下の男性・Sさんと再婚するのだ。

Sさんの実家は牛乳宅配店で庶民的な家庭だった。2人は東京郊外の団地で50年以上も一緒に暮らしている。本誌が訪ねると、通子さんは体調が優れないということだったが、夫のSさんが応対してくれた。夫婦仲は変わらないようだ。

皇室に生まれ育ち、自らの意思で結婚相手を選び、家族に猛反対されても意志を貫き通す――。共通点の多い通子さんと眞子さま。ただ、前出の小田部さんは、大きな違いもあると指摘する。

眞子さまは結婚にあたり、約1億4千万円の一時金を受け取ることが法的に確約されています。一方、通子さんの場合は、いっさいの経済的援助はなく、タイピングなど自活の道を模索していました。通子さんは結婚をゴールとせず、人生を自らの力で切り開いていくことに意義を見いだしていたのでしょう。だからこそ、1度目の結婚がうまくいかなくても幸せをつかみ取れたのではないでしょうか。眞子さまは、小室さんとの結婚生活に挫折したらすべてが終わりとなってしまうのではないかと危惧されます

結婚後は小室さんと一緒にニューヨーク移住か、ともいわれる眞子さまだが、通子さんのように“しみじみ味わう幸せ”を見つけることはできるのか――。

ぺんぺん草の独り言

久邇通子さんと眞子サンの結婚は、全く違うと思うよ。

1947年、久邇通子さんが7歳の時、久邇宮家はGHQによって皇籍を離脱させられていて、その後、久邇家の方々は平民となっている。通子さんが結婚したときはすでに通子さんは平民だから、国から一時金は出ないよ。だからお相手の方は、小室親子と違って一時金狙い、金目的ではなかったと思うよ。

しかも、親から『家名を汚した、二度とこちらに戻ってくるな』

『連絡もしない、手紙も書いてこないように』

と、ほぼ絶縁を言い渡されていたので、お金の無心は出来なかったし、しなかったと思う。関係を断つことで、叔母さんに当たる香淳皇后、皇室全体に迷惑をかけないようにしたいとの配慮があったんじゃないか、と思うし、戦後、皇籍を離脱した元宮家の方々は、平民の中で揉まれて生きていくことに慣れていないので、金を援助するほど余裕があったかどうか、わからないよ。

初婚のお相手も、再婚の牛乳販売店の方も、元皇族の地位や金を当てにすることなく誠実に働いているんだから問題ないでしょ。

しかし小室圭と眞子サンは違う。

眞子サンは今現在内親王という立場で、結婚するときには1億円超の結婚一時金が出る。

父親秋篠宮殿下のあと、弟宮、悠仁さまは天皇となることが決定しているのだから、もしどうしても小室と結婚するなら、完全な絶縁をするべきだと思うけど、小室のメガバンクへの就職、弁護士事務所へのパラ就職、アメリカ留学の金や特別優遇など、秋篠宮家はかわいい娘のために忖度を続ける可能性が高いよ。

悠仁さまの中学進学に関してですら、強権を発動して、特別進学制度を作らせたり、秋篠宮家は、忖度し放題が国民にも垣間見えるのだから、眞子サンが結婚したら、援助しないはずはないと思ってしまう。仮に秋篠宮側が絶縁しても、小室圭は最大限に、天皇の親戚であると主張し利用するだろうね~。

久邇通子さんと結婚された方は、通子さんのバックを利用しようと接近したのではなく、ホントに好きだったんだと思うよ。

さらに、眞子サンは、久邇通子さんほどの覚悟はないと思う。お気持ち発表で、結婚一時金は辞退する、辞退できないのであれば、一旦受け取ってその後、一時金をどこかの団体に寄付すると明記出来たはずだけど、それはしてないでしょ。金はほしい、結婚してからも皇室との縁を繋げて利用したいという小室圭の考えに賛同しているとしか思えない。

そして今回の女性自身の記事を読んで思ったのは、皇室は長い間イトコ結婚は当たり前で、近親婚を繰り返してきたから、ガンが多発したり、生殖能力が衰えて、生物学的に絶滅の方向に進んで数が減って来たんじゃないかと思う。

今上天皇の最後までのお后候補の久邇晃子さんも香淳皇后の兄の孫に当たり、お家柄は素晴らしいけど、今上天皇とは、近い血筋の結婚になるよね。

イギリス王室であれば、ヨーロッパ全域から婿や嫁を迎えているから近親結婚にはならないけど、日本は、元大名御三家からならいいけど、11宮家が存続していても、元皇族との縁組だけでは血が濃すぎるわ。しかし血が濃くなかったらいいというものではないから、小室圭との結婚はやめてください。

(久邇通子さん美人だね。今の皇族のイメージはお茶に嫁がれた千方子さんとかを思い浮かべるけど( ´艸`)昔の女性皇族は美形だわ)

千容子さん

 

おすすめの記事