このブログはコメント欄を設けていないので、記事に対し、様々な意見を持たれていると思いますが、耳に入ってきません。それをいいことに、特に皇室関連は、ボロクソ滅茶滅茶書いているので、怒っている方が多いのではないかと思っております。
テニスに関しては、ほとんどPVがなく、誰も閲覧していない、ただ楽しくて書いているわたしの娯楽です。
動物関連も、閲覧者は非常に少ないです。
その動物関連の記事対してご意見を頂きました。コメント欄がないので、リンクしてくださっているmayuさんの
秋篠宮皇嗣殿下55才の誕生日 仲良し家族画像は本当の姿なの?会見の感想など
の、コメント欄を通して、書いてくださいました。わたしがコメント欄を設けていたらいいのですが、mayuさんのように、てきぱきと返信ができないので、mayuさんとコメントを書いてくださった方にご迷惑をおかけし申し訳ありません。
ご意見を頂いた動物関連記事というのは競走馬の約9割が引退後に殺処分についてです。やしまさんという方が書いておられます。
ペンペン草さんの記事についてちょっとだけ申し上げたい。
根本的に考えてほしいのは、競走馬というのはペットではなく、家畜ということです。いつも不思議なのですが、では牛や豚は殺処分100%なのに、それについては何も言及なく、馬だからかわいそうだというのはどうかなと思っています。
肉になるために生まれてくる牛や豚と違い、馬はその競走能力次第では生き残る余地があるだけ、「家畜」の中では恵まれた動物だと思っています。
人間が生み出したシステムなので、これはもうどうしようもありません。
究極は、サラブレッド種の生産を辞めてしまえということになります。
なお、乳牛は肉にはならないとお考えの方もいるのですが、乳牛は4年子供を産ませたら、肉になります。
それ以上生かしておくと肉が固くなるので4年が限度だそうです。
草原でのんびり草をはむ光景しか知らない我々ですが、酪農家にとっては、それは必須の道筋なのです。
ぺんぺん草のお返事
わたしが、酪農家の方を批判していると思われたのであれば、それはわたしの文章力のなさです。単純にわたしは、走って走って人間を楽しませて、走れなくなったら殺されることが可哀そうだと思っているだけです。
単純にそれが全てです。
家畜の牛豚ニワトリが殺処分100%であることも知っています。食卓のお皿の上には、多くの命が集められてるから、頂きますと手を合わせるのです。命に対して感謝をしています。その頂いた命でわたしの身体の筋肉や骨が出来て、生命を繋いでいます。
しかし競馬や闘犬、闘鶏は人間の娯楽です。なければ人間が生きていけないものではありません。自然界、例えば、台風など、日本列島に直撃することがわかっていても人間はどうすることもできませんが、人間が作ったシステムなら変えることができるはずです。
しかし、競馬や闘犬、闘鶏に携わり、それを仕事としている人がいて、それによって経済が回っていることも事実です。
だからせめて人間のために尽くしてくれた動物に穏やかな余生を過ごさせてやりたいと思う人たちが「さんさん牧場」を作ったのではないかと思います。
乳牛が肉になることも知っています。乳牛の一生は、ずっと拘束されて乳を搾り取られて、最後は肉になります。以前も書きましたが、乳牛の引退後、のんびり余生を送る事ができたらいいなと思いますが、それはあり得ないですね。
もし、わたしがマーク・ザッカーバーグほどの資産があればそういう牧場を作っているかな?
しかしこんな発想になるのは、全てはわたしが幼稚だからでしょう。子供の頃に牧場見学に行って、生まれて数週間の子牛を見ました。ぺろぺろ手をなめて、顔を摺り寄せてきて、この子がいずれ肉になると知った時、しばらく肉が食べられなくなりました。その時の幼さと今もほとんど変わっていませんからね。いい年をしながらわたしは、やしまさんのような、大人ではないということです。