平成時代、女性週刊誌には毎週、
「慈愛に満ちた美智子皇后」
「満身創痍で被災地へ」
「雅子さまの分まで頑張る美智子さま」
と、いうふうな見出しが躍ってたわね。
若い皇太子夫妻(当時)が静養ばかりしている最中、高齢の天皇皇后(当時)が満身創痍で公務をしていると雅子さま批判が激化、美智子さまがお可哀そう一辺倒だったけど、御代が替わり、雅子さまが皇后となったとたん、怠けていると批判されていた雅子さまが持ち上げられ、雅子さまを諫められない皇太子(当時)も、ご立派と報道されて、美智子上皇后がやんわり、批判の対象となっている~
週刊誌の動向でいくらでも世論は誘導されて、令和の時代は美智子上皇后にとって予想もしなかった、批判される時代になるかも。
見出し
雅子さまの涙に美智子さまの「ご指導」
雅子さまの涙その1
愛子さまが誕生し、会見で感動のあまり涙で言葉が途切れる雅子さま。皇太子さま(当時)がそっと手を差し伸べられたのが、麗しい夫婦愛、と言われましたわね~
出典:https://www.youtube.com/watch?v=QnvNMiBnn9A
「障害者週間」式典ご出席で雅子さま涙その2
このご公務で涙を流されたことで、美智子皇后(当時)から感情を露わにしてはいけないと指導が入ったそうですよ~
雅子さまの涙そ3
御代が替わり、天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」の祝賀式典で、嵐の歌を聞いて、感動のあまり涙を流される雅子皇后。
出典:https://dot.asahi.com/wa/2019111000009.html
雅子さまの涙その4
即位後のパレードで、大勢の国民の祝福を受け、やっと御代替わりできたと感動の涙を流す雅子さま
出典:https://www.news-postseven.com/archives/20191115_1487121.html
ペンペン草の独り言
公の場で涙を見せられ、確認できるの画像が残っているのはこれだけ。
しかし実際は、
・男子ができない
・秋篠宮家に悠仁さまが生まれた
・愛子さまの養育に手がかかる
などなど、その都度、涙を流してこられたと思われるわ。
雅子さまは人前で涙を流し、弱い部分を見せることで、国民の心をつかんだのよね。もちろん意図して涙を流したのではなく、自然と涙が流れたんだとは思うけど。
一方、美智子上皇后にしたら、この公務では感動の涙を流し、こちらでは笑顔・・では、公平な公務の態度とは言えないので、いつも同じようにしていなくていけないということを言っただけでしょ。
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雅子さまが「天皇陛下御即位をお祝いする国民祭典」「パレード」で涙を流されたことで、きっとひどく美智子上皇后にいじめられてきたんだろうと想像されてしまって、美智子上皇后としては、失語症になるくらい悔しいでしょ。
美智子さまは細かいことを煩く注意する人のようだけど、雅子さまが公務をしないときも、スキー旅行に行くことを許してくれたし、まあ、それなりに、昭和ではありえない寛大な待遇をしてくれたってことはあるわよ。
かつて、文春に
「美智子さまが雅子さまを叱った!」
という見出しが出たときは、多くの国民は留飲を下げたものだったのよ。この記事が出た直後、 美智子さまは、ご自分が悪者となるので即効、否定を宮内庁から入れさせたので、この記事の内容の真偽は不明なままだけどね。
小室Kが出現してからは、ひたすら真摯に公務に励んでこられた秋篠宮殿下と紀子さまが過剰な批判をされるようになり、これは間違っているわ。
いつまでも引っ越さない美智子上皇后の今のご様子などから、多少の批判は仕方ないとしても、秋篠宮両殿下には、全く非はないでしょ。批判されるべきは逆玉を狙って結婚を辞退しない小室K。
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秋篠宮殿下が決断しないので、小室Kは宙ぶらりんで・・・なんて、まるで全て秋篠宮殿下が悪いような書き方をする週刊誌まで出てきて、呆れるわ。
Kに別れてほしくても、眞子さまが別れようとしないことと、小室側が、破談が決まったら何をしてくるかわからない恐怖があるから、身動きできないのは秋篠宮家のほうなのよ。
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ここまで親子で協力して皇室を利用しようとする人と、両殿下は出会ったことがないだろうから、対応に苦慮されているんだわ。
11月30日の秋篠宮殿下のお誕生日会見では、天皇即位のお祝い事に水を差すことになるので、小室Kの話は出ないと思うけど、来年2~3月末までには、きっぱりと決着をつけてほしい。眞子さまは天皇がどれほど重いものであるかを勉強して、将来の天皇の姉になることをしっかり自覚し、正しい判断をしなくてはいけないわ。
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