上皇后美智子さま

上皇后さまはネット上での批判に悲しまれ、

「私の60年は何だったのでしょうか・・・・」

と、思い悩まれ、微熱を出されているということですが、この度、岡山県倉敷市は、西日本豪雨の発生から約2カ月後(2018年9月)に天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)が被災した真備町地区を訪問されたのを記念し、同町尾崎の小田川そばに標柱を建立しました。

「上皇さま・上皇后さまが訪れた場所を知りたい」という被災者の声を受けての、記念碑設置だから、この60年間の民への思いは、届いていたということでしょう。よ~ございましたね。

上皇・上皇后(当時)の訪問記念 標柱を建立

2018年の西日本豪雨で、上皇さまと上皇后さまが訪問された倉敷市真備町に記念碑が3日、設置されました。

倉敷市の伊東香織市長や地元の関係者らが見守る中、木製の記念碑がお披露目されました。

上皇さまと上皇后さまは2018年9月、西日本豪雨で決壊した小田川を視察されました。現場では豪雨被害などの説明を受けられ、被災者に励ましの言葉を掛けられました。

上皇さまと上皇后さまが訪問された場所に記念碑設置

「上皇さま・上皇后さまが訪れた場所を知りたい」という被災者の声を受けて、記念碑を設置しました。

上皇さまと上皇后さまが訪問された場所に記念碑設置2

小田川の堤防拡幅工事のため記念碑は一時、撤去されますが倉敷市では工事が終わり次第正式に設置する方針です。

岡山県倉敷市は3日、西日本豪雨の発生から約2カ月後(2018年9月)に天皇、皇后両陛下(現在の上皇ご夫妻)が被災した真備町地区を訪問されたのを記念し、同町尾崎の小田川そばに標柱を建立した。

【西日本豪雨2年】両陛下(現在の上皇ご夫妻)の訪問記念

標柱はヒノキ製で高さ約1・6メートル。白いペンキで全体を覆った後、表面に「天皇皇后両陛下行幸啓記念」、裏面に「平成三十年七月豪雨災害の真備地区御見舞いのため 平成三十年九月十四日行幸啓され 小田川堤防から被災状況を御視察されました」と書いた。建立場所は、両陛下が視察を始めた地点という。

市はこの日、除幕式を行い、伊東香織市長や真備地区まちづくり推進協議会連絡会の中尾研一会長らが出席。市長は「両陛下のお見舞いで大きな復興への力をいただいた」と語った。建立場所は堤防の拡幅工事区間と重なるため、工事完了後、近くに再設置する意向も示した。

ぺんぺん草の独り言

平成は災害の時代だったわ。阪神大震災に始まって、次から次から地震や津波、豪雨が起こって、そのほぼすべての災害地を訪問して、被災者を励まし、戦争の慰霊地も、ごめんなさい、ごめんなさいとおっしゃりながら、執念のように、くまなくまわられ、頑張ってこられたわね。

西日本豪雨は記憶に新しく、すざましかったわ。夜中堤防が決壊して、あっという間に家のに二階まで水がきて、岡山、広島県、愛媛の3県にまたがり、200人以上の方が亡くなったのよね。

真備町はハザードマップとまさにピッタリの地域の被害がすごくて衝撃だった。ハザードマップがここまで正確だとは思わなかったから。

あの豪雨のあと、自分の住んでいる場所のハザードマップを調べたわよ。

今はもう復旧したとは思うけど広島の一部は、ずっと自動車道が不通だったわ。上皇上皇后(当時天皇皇后)は、そこにも行くと言ってきかなくて周囲の人は困ったのよね。

真備町には、上皇上皇后(当時天皇皇后)に訪問してもらったことを感謝している人がたくさんいて、上皇さま・上皇后さまが訪問された場所に行きたいと思ってもらえて、標柱が建立されて、上皇上皇后の業績は永遠に残るのよね。上皇后の60年は実りある時間だったと思うわよ。

【追加記事】

これでいいのだ日記Part2さんが更新されました。

いつも楽しみにしいているので超うれしい。

頸椎症性神経根症と頸部椎間版ヘルニアだそうで、聞いただけで痛そうです。そんな中、更新してくださって、読めて嬉しい。

わたしの父親も、「も」と書いては失礼になりますが、新型ウイルスで面会禁止のひと月でがらりと変わってしまって老けてました。

ウチはボケがひどくなってきたので、施設から部屋を変われと言われていましたが、コロナで面会禁止の間に、本人がボケていることをいいことに、勝手にかわってました。超高齢入所だったので減価償却がはやく、向こうは相談もなく、新たな次の人に部屋の権利を売っていたのでした。

腹は立ちますが、今更移るところはありません。

面会は週に一回15分だけ、ロビーで大きな透明のつい立てをはさんで、拘置所の面会のようだから、父には訳ワケがわからず、全てが怒りになり怒鳴るので、ますます施設の人の扱いがぞんざいになってます。

父には、自分の人生は何だったんだろうと考える知能はもうないと思いますが、わたしは人生のはかなさを目の当たりにして、最近元気がなく、このブログを書き散らして発散しています。

上皇后の住まいは広大で恵まれています。上皇は毎週、皇居に生物のご研究に来るまで送り迎えしたもらって、これも恵まれた老後です。

標柱まで建立してもらって、いずれどこかに、銅像も出来るんじゃないですか~?

これほど恵まれてるのに、美智子さまは今まで一貫して、悲しみと不満を拡散され続けて来ていて、国民を憂鬱にさせるのです。ご友人との電話でも元気がなく悲しさをアピールしていたみたいですけど、

「幸せな人生だった」

と、なぜ、思えないんでしょうかね。

何が悲しいんですか?と言いたい。

狭くて不満だとしたら、どんだけ贅沢なのか・・・・!

皇族邸ほどの広さがあれば、邸内を一回りするだけで、運動不足にならないと思いますけどね。

結局のところ、注目を集め、崇め奉ってもらって生きてきた人は、かつての快感が忘れられなくて、不満となって苦しむんでしょうね。

今となっては適度に現天皇に仕事を譲り、終生現役だったほうがよかったですわね。雅子さまは皇后になってなかったら絶対にいつまでたっても引きこもりだったと思うので、雅子さま批判は続き、その反動で、美智子さまをマスコミが称賛するので、美智子さまは幸せだったでしょう。結局のところ、雅子さま批判に悩んでいるように見せながら、心底は嬉しかったのかもね。

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