北海道で「宮様スキー大会」が行われ、信子さまが乳がん治療後、初の公務と報じている。が、わたしが注目したのは、表彰式で彬子さまと同席されること。信子さまと彬子さまが断絶状態であることは以前から報道されているが、公務では同席される。

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「宮様スキー大会」

宮様スキー大会は札幌市内6カ所で行われ、クロスカントリーやジャンプ、アルペン、コンバインド、フリースタイル、バイアスロンなどの競技にあわせておよそ900人の選手が出場する。

信子さま、彬子さま、久子さまの3人で、分担して試合を観戦されたので、競技場で顔を合わせることはなかったはず。しかし表彰式では避けられない。

宮様スキー大会表彰式

信子さま彬子さま久子さま、離れてご入場。
信子さま彬子さま久子さま離れてご入場
間隔をあけて着席
着席も離れて信子さま彬子さま久子さま

信子さま宮様スキー大会

宮様スキー大会彬子さま久子さま

コロナのおかげなどと書いたら、コロナで亡くなられた方がたくさんいるのに不謹慎だが、彬子さまにとったら、ピッタリ隣同士に着席しなくて済むので助かるかも。

信子さまと会話を交わされる様子は動画にないが、もしかしたら久子さまとは言葉を交わされていたかもしれない。

宮様スキー大会信子さま彬子さま

彬子さまが久子さまの方を見ている。久子さまに何か仰ったのか?

ぺんぺん草の独り言

彬子さまは日本文化をテーマとしたウェブメディアに連載のコラムをお持ちになっているそうで、そこで、秋篠宮が御所を訪問するのが少ない、昭和天皇と弟宮さまたちは、お互いの意思疎通を重視されていたのに・・と書いているそうだ。

三笠宮家の彬子女王が、秋篠宮さまへの“諫言”ともとれる文章を綴られていたーー。

「彬子さまは、日本の伝統文化や歴史に関わるご公務やご活動をなされてきました。その一環として、食や旅、文学、歴史など、多様な日本文化をテーマとしたウェブメディアに連載のコラムをお持ちになっています。

1月5日に配信された、宮中の新年にちなむ食文化を伝える記事の中で、昭和天皇と弟宮さまたちの関係性の深さについて書かれていますが、古きよき時代を懐古するいっぽうで、現在の皇室への憂慮も伝わってくる内容なのです」(前出・皇室担当記者)

昨年末、彬子さまの祖父で昭和天皇の末弟である三笠宮崇仁さまの伝記が出版された。彬子さまは刊行委員長を務められ、昭和天皇やご兄弟のご事績を詳細に見てこられたそうで、コラムでは次のように書かれている。

《昭和の時代は、「寒の入りにつき」「お中元につき」など、(崇仁さまは)秩父宮家、高松宮家とご都合を合わせられ、様々な場面で、本当に度々に御所にご挨拶に上がられている。御兄弟の絆の深さが感じられるのはもちろんのこと、季節の移り変わりの大切さ、そしてそれに伴う体調の変化を気遣うという、日本で脈々と培われてきた相手を思いやる心遣いの美しさを垣間見られるようで、とてもあたたかい気持ちになる》

いっぽう昨年、秋篠宮さまが御所を訪れられたのは、立皇嗣の礼関係行事お済ませについてのご挨拶、お誕生日のご挨拶など、“必要最低限”の3回だけ。2012年から7年間、上皇さまと天皇陛下、秋篠宮さまが月に1回ほどのペースで御所に集まって開かれていた“頂上会議”も、現在は休止されたままだ。

「彬子さまのコラムは、祖父母らから聞いた皇室の優雅さや思いやりの伝統を残したいというお気持ちで綴られたのでしょう。しかし、コロナ禍や多忙なご公務のため、ご挨拶程度ならともかく、陛下と秋篠宮さまがお二人で顔を合わせて話される機会が激減しているのも事実です。

ご兄弟のコミュニケーション不足が、両家の“日程かぶり”のような侍従職と皇嗣職の連携不足にもつながったことは否めません。また、眞子さんの結婚や秋篠宮邸の改修費に対する批判など、皇嗣家を巡ってはトラブルが立て続けに起きてしまっています。宮内庁内でも、“なぜ秋篠宮さまはもっと陛下にご相談しないのか?”と疑問を呈している者も多いのです」(宮内庁関係者)

彬子さまのお父上である寬仁さまは、“皇族は天皇を支えるための存在”というお考えをたびたび発信され、実践されてきた。

「寬仁さまは、“ひげの殿下”と国民から愛され、皇族が避けがちな政治的な問題についても臆せず意見され、生涯を通じて皇族のあり方と向き合っておられました。そんなお父上を彬子さまは深く敬愛され、お考えの一部を受け継いでおられるのです」(前出・宮内庁関係者)

近現代の皇室に詳しい静岡福祉大学名誉教授の小田部雄次さんは、彬子さまがコラムに込めたお気持ちをこう読み解いてくれた。

「天皇家と各宮家の間で、もっと密な意思の疎通や皇室の一体感を高めたいというお気持ち、現状へのもどかしさを感じておられるのではないでしょうか。

彬子さまが綴られているように、昭和天皇の御代では、戦前からご兄弟はご家族もお連れになって、定期的な映画会や食事会を開かれていたことが『昭和天皇実録』などに記されています。

昭和天皇と、秩父宮雍仁さま、高松宮宣仁さま、そして三笠宮崇仁さまとは、ご兄弟の間でもさまざまな考え方が異なることで衝突することもありました。考え方の違いがあったからこそ、終戦や占領という激動の時代に、昭和天皇と弟宮さまたちは、お互いの意思疎通を重視されていたのでしょう」

皇族数は減少の一途をたどっており、皇統の危機が叫ばれて久しい。危機を打開するために、もっと話し合いや協力が必要だと、彬子さまは考えておられるのかーー。


秋篠宮さま 天皇陛下との対面機会が激減…彬子女王もコラムで憂慮される皇室の意思疎通

秋篠宮に、天皇陛下と密な意思の疎通を図りなさいとの諫言するは間違っていない。しかし彬子さまは、母親信子さまと断絶状態が続いているようなのに・・天皇と秋篠宮の事なら諫言するのか?と、突っ込みたくなる。

確かに秋篠宮家には誰も諫言する方がいなかったので、国民から批判を浴びることを平気で出来たのは事実で、悠仁さまの大学進学では更に平気でごり押しをする可能性が高い。

秋篠宮家をしっかりと叱ってくれる人がいたらと思うが天皇も上皇もいい人でありたいので何も言わない。

秋篠宮、紀子さま×小室眞子サン、佳子さま、もしかしたら悠仁さまも仲が悪い、眞子さんと秋篠宮夫妻は断絶に近い状態

秋篠宮×天皇は断絶ではないが、仲良しではないだろう

紀子さま×雅子さま、紀子さまは雅子さまの張りぼて学歴に嫉妬しているのでは?と想像。雅子さまにとって紀子さまは、憎しみを感じる亭主の弟の嫁ではないかと、これも想像。

そして信子さま×彬子さま、瑤子さま

信子さまもお若い頃は奇抜なファッションで、変わった方だなと思ったが、元々、寛仁親王を好きで結婚したのではないと思われるし、殿下のパワハラに苦しんできたとも言われているし、夫婦間の問題は娘にはわからない事があることを彬子さまは理解しないまま母親を一方的に憎んでいるのではないか?と思う。

彬子さまも信子さまと話し合ってみれば?と言いたくなるけどね。

平民の家庭も、親子兄弟姉妹、義理の親戚など、仲良くしているところの方が少ないかもしれないので、これらの人間関係をも含めて、天皇だけでなく皇族は日本の象徴なんだなあと思うのでした。

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