ベルリン国際映画祭で記者達の質問に答えるジョニー・デップ
出典:(画像は『HanWay Films 2020年2月21日付Instagram「Today’s the day Johnny Depp and the Cast and crew of @andrewlevitas MINAMATA are at the @berlinale press conference」』のスクリーンショット)

ジョニー・デップが主演作『Minamata』でベルリン国際映画祭に登場し、水俣の悲劇は「絶対に伝えるべき」と記者会見で言ってます。ジョニーデップがこんな映画に出ていたとは知りませんでした。

雅子さま。天皇、愛子さまと共に、ご家族でご鑑賞、なさいませんかあ~?

見出し

ジョニー・デップ、水俣の悲劇は「絶対に伝えるべき」

現地時間2月21日、ベルリン国際映画祭に出品した映画『Minamata(原題)』のワールドプレミアが開催された。レッドカーペットには主演を務めたジョニー・デップ(56)が登場、会見では水俣で起こった悲劇への思いを語った。

映画『Minamata』は、第二次世界大戦中に従軍カメラマンとして活動した故ウィリアム・ユージン・スミス氏が、『ライフ』誌編集長からの依頼により日本の水俣病患者たちのドキュメンタリーを制作する実話を描いたストーリーだ。スミス氏と妻のアイリーン・美緒子・スミスさんが共著した『写真集 水俣』をベースに制作された。

スミス氏は、戦場で受けた傷の痛みを和らげるためにアルコールが欠かせなかった。日本へ取材に行く直前には自殺も考えたほどで、来日後も取材より酒を優先していたそうだ。

ジョニー・デップは水俣で起きた悲劇について、次のように語っている。

「この事実は、信じることが不可能なほどだ。誰にも助けられず、何もできなかった。衝撃だった。この実話に興味がある人がいれば、絶対に伝えるべきだと思った。メディアやアートの力を利用できるなら、事実を伝えて人々に目を向けさせるべきだ。」

「このような映画は、日常的に制作されるものではない。この映画を世にもたらすことで、少しでも人々の関心や興味を呼び起こすことができればいい。」

「映画の出演者は全員、アイリーンとユージンの物語を伝えることに強い責任を感じ、すべての情熱を映画制作に注いだ。」

https://japan.techinsight.jp/2020/02/ikumi02221650.htmlより抜粋

水俣病とは

水俣病(みなまたびょう)とは、メチル水銀化合物(有機水銀)による中毒性中枢神経系疾患のうち、産業活動が発生源となり、同物質が環境に排出され、食物連鎖によってヒトが経口摂取して集団発生した場合に言う。

1956年(昭和31年)5月1日に熊本県水俣市にて公式発見され、1957年(昭和32年)に発生地の名称から命名された。その後、類似の公害病にも命名されている。

1997年(平成9年)に水俣湾の安全宣言がなされ、漁が再開されている。

チッソとは

チッソ株式会社(CHISSO CORPORATION)は、戦後の高度成長期に発生した水俣病の補償業務を専業とする日本の企業である。

皇后雅子さまの母方の祖父はチッソ株式会社の元社長故江頭豊

ぺんぺん草の独り言

今回ジョニーデップが演じていると思われるユージン・スミスは写真家。母方の祖母が、アメリカインディアンの血筋を引いているので、ジョニーデップは親しみを感じたかもしれないと思う。
(ジョニーデップはチェロキー族のクオーター)

1972年1月、千葉県市原市五井にあるチッソ子会社の工場を訪問した際に、交渉に来た患者や新聞記者たち約20名が会社側の雇った暴力団に取り囲まれ、暴行を受ける事件が発生する。

スミスもカメラを壊された上、脊椎を折られ片目失明の重傷を負う。

この事件でスミスは「患者さんたちの怒りや苦しみ、そして悔しさを自分のものとして感じられるようになった」と自らの苦しみを語った。

その後『ライフ』1972年6月2日号に「排水管からたれながされる死」を発表した。

Wikipediaより一部引用

雅子皇后の母方の祖父江頭豊氏が水俣病を引き起こしたチッソの幹部だったことは有名なことで、昭和天皇は皇太子(当時)の結婚してとして小和田雅子は、絶対にダメだと最後まで反対されていたらしいわね。

江頭豊氏が言ったとされること、したとされることがすべて本当かどうかはわからないし、江頭氏が日本興業銀行退職を退職し、1964年(昭和39年)新日本窒素肥料専務取締役に就任する前に起こった公害事件ではあるけれど、大きな公害を引き起こした企業の幹部であったことは事実で、被害者への対応に全く問題がなかったとは言えない人だったみたいね・・・。

オランダのマキシマ王妃はアルゼンチン人で、オランダのウィレム・アレキサンダー皇太子(当時)と結婚するのに問題となったのは宗教問題とマキシマ王妃の父親が1970年代、大量虐殺を行ったアルゼンチンの独裁的軍事政権下で大臣を務めていたことだったわね。

マキシマ王妃の父親は王妃になる娘の結婚式に出席しないで、マキシマ王妃は父親、アルゼンチンと決別し、オランダ人になりきることで国民の理解を得たそうだけど・・・・

雅子さまはご実家小和田家にべったりで、水俣病について、祖父がチッソの幹部になる前のことではあるけれど、申し訳ないと言えたらいいけど、そんな気はまるでなし。

マキシマ王妃はウィレム・アレキサンダー皇太子(当時)を愛していたから、全てを捨てて、オランダ人となることを選んだと思うけど、雅子さまの場合、好きでもない皇太子(当時)のために、何も悪くないと思い込んでいる、大切なおじいちゃまを悪く言うつもりはなく、皇太子が結婚してほしがったので、結婚してあげたんだから、わたしのしたいようにさせてもらって当然でしょ!という感じで今までしたい放題できたのよね。

ジョニーデップは水俣の悪夢が今も続いていることにショックを受けてたそうよ。世界の人が、『Minamata』を見て、日本の天皇の奥さん、雅子皇后の祖父が水俣病を引き起こした企業の幹部であったことを知ったら・・・どう思うかしらね

雅子皇后が、謝罪どころか、熊本に行ったこともないと知ったら、さらに驚くでしょうね。

天皇は結婚相手がいなかったと思われているけど、そんなことはないと思うわ。絶対に、元皇族、華族の縁談は、降るようにあったと思うわよ。

上皇后美智子さまが雅子さまと結婚させたかったんでしょ。絶対にご自分と同じ、平民と結婚させたかったんだと思うわ。雅子さまは15年以上、病気を盾に静養ばっかりで、皇后になった途端、出て来てご機嫌で・・よろしいですけど・・なんなの、この人と思ってしまうわ。

愛子さまは推薦入試に見事合格されて、大学進学も決まり、暇なんだから、ご家族で是非、『Minamata』をご鑑賞くださいせよ~。

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