プラシド・ドミンゴといえば、ホセ・カレーラス、故ルチアーノ・パバロッティと共に、世界の三大テノールと呼ばれている名歌手です。そのドミンゴ氏に女性への不適切な関係強要疑惑が浮上~。しかし一方で擁護する声もあり真相はわかりませんが、オペラ歌手としてのドミンゴ氏が歴史に名を残す世界最高のテノールであることは間違いない・・・のです。

プラシド・ドミンゴとはどんな歌手

・1941年スペインマドリード生まれの78歳。

イタリア人だと思ってた~わ。スペイン人だったのね~。もう、78歳なのかあ~。

・両親はサルスエラ歌手

サルスエラとはスペインの叙情的オペラのことですってよ~。やっぱり両親も歌手で、ドミンゴの美声は両親からの贈物だったのよね~。

10代後半から20代前半

・両親がサルスエラ劇団を経営しており、メキシコに移住。子役として舞台に立つ。
・1955年にメキシコシティの音楽院入学
・1959年にメキシコ国立歌劇場でテノール歌手としてデビュー。1961年には椿姫のアルフレードで初主演

わずか20歳で主演をしているんだわ。

世界中の歌劇場と契約

・1962年にテルアビブ歌劇場と契約
・1965年ニューヨーク歌劇場と契約
・1967年ウイーン国立歌劇場デビュー
・1968年ハンブルグでローエングリンを歌ってワーグナーデビューするが声帯障害を起こす

ワーグナーはドミンゴには向いてなかったってことでしょうね。2004年にはトリスタンとイゾルデに挑戦して、なんとしてもワーグナー歌手にもなりたかったみたい・・だけど。

・同年、急遽依頼された代役でメトロポリタン歌劇場でのデビューに成功
・1969年にはミラノスカラ座1971年にはロンドンのロイヤルオペラハウスにデビュー

あっという間にオペラ歌手なら一度は歌いたい世界の名だたる歌劇場のほとんどを制覇したってことね。

・1990年以降は故パパロッティ、ホセカレラスと共に三大テノールとして荒稼ぎ
参照:プラシド・ドミンゴWiki

ぺんぺん草の独り言

ドミンゴは2011年の福島第一原発事故で外国の演奏家が来日を中止したのに、日本公演をしてくれたのよね。30年以上前、テレビで彼が主演のジョルダーノ作曲の「アンドレア・シェニエ」を見たことがあるのよ。それまで「アンドレア・シェニエ」というオペラがあることも、ジョルダーノという作曲家がいることも知らなかったのよ。たまたまテレビをつけたら始まって、なんとなく見ているうちに引き込まれて最後まで見たのよ。

アンドレア・シェニエのドミンゴ、最高でした。

・アンドレア・シャニエはフランス革命の頃の詩人。伯爵家のパーティで貴族を批判する詩を披露し、伯爵家令嬢マッダレーナはシェニエに恋をする。

・貴族を批判したアンドレア・シェニエは投獄される。彼を愛するマッダレーナは見知らぬ死刑囚と入れ替わって、ふたりは再会。永遠の愛を誓って断頭台へと消えるところで終わる。

という、内容でした。
ドミンゴは背が高く当時は今ほど太ってなくて、カッコよくて、オペラがドラマチックで感動したのよね~。冷静になって考えたら、見知らぬ死刑囚と入れ替わるとかありえないことだけど、オペラってそれでも感動させてしまうのです。

今回のセクハラ事件

ドミンゴは全てが歓迎されて同意されていたと言っているのだから、この不適切な関係強要問題は全くのデマはなく、あったということでしょう。指揮者のジェームス・レバインも同様の訴えをされてメトロポリタン歌劇場を解雇されているので、音楽会や映画界などでは表ざたになっていないだけで、よくあることなのかもしれません。

しかし・・・、これもテレビで見ただけだけど・・ドミンゴとアグネス・バルツァとのオペラ「カルメン」の組み合わせは世界最高で、すごく魅力的です。

今回の報道を知っても、特にがっかりするとかはなく、オペラの中のドミンゴと実在のドミンゴを完全に分けて考えることが出来て、やっぱり彼のオペラは最高だったと思うのでした・・。

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