エリザベス女王は美女だった。妹のマーガレット王女も美女だった。マーガレット王女の写真を集めてみました。
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マーガレット王女も絶世の美女

超絶的な美女姉妹。わたしの好みはどちらかというと、マーガレット王女だなあ。
タウンゼント大佐との悲恋
離婚歴があり16歳も年上の大佐と結婚するならば王位継承権はおろか王族としての年金受給権も剥奪すると告げ、英国国教会としても結婚を認めない、と決定した。
周囲の人間全てを敵に回したような状況で、母のエリザベス王太后すら冷淡な態度を取り、マーガレット王女に同情的だったのはその恋の始まりから知っていた姉のエリザベス女王だけであった。
ただし女王も2人の結婚を願っていたわけではなく、2人が納得して穏便に別れることを望んでいたとされる。
1955年10月31日、クラレンス・ハウス宮殿で王女は大佐と会うことを許され、それが2人の別れとなった。大佐はベルギーのイギリス大使館に異動させられた。
「私はピーター・タウンゼント大佐と結婚しないと決意したことを、ここにご報告します」という王女の声明文がBBCで放送された。

ピーター・W・タウンゼント大佐は1944年、女王と王女の父ジョージ6世が侍従武官に任命した貴族ではない男性だった。
しかも離婚歴があり、当時は絶対に結婚が許されなかったんだろうね。
大佐と別れた後の王女
1960年、写真家のアンソニー・アームストロング=ジョーンズと結婚。
1970年代初め、自宅で雇った庭師である17歳年下の準男爵のロディ・ルウェリンと2人きりで旅行に出かけたところを飛行機内で写真に撮られ、王女の浮気が明るみに出た。

イギリス王室では庭師まで男爵なのね。すごいわね。
その後、 1978年7月にスノードン伯爵と離婚。離婚後は、ミック・ジャガー、ピーター・セラーズなどの有名人との浮き名を流した。
晩年から薨去
1995年、ベルギーでタウンゼント大佐が死去したが、同じ頃に王女も脳卒中で倒れ、車椅子の生活になった。
2002年2月9日に薨去した。71歳没。100歳を越えた長寿の母、エリザベス王太后は娘の死にショックを受け、3月30日に後を追うように薨去した。
美貌の王女の日常
波乱の生涯であった王女は、どんな日常を送っていたか?
王女の朝はいつも、午前9時ごろの起床から始まったそう──「ベッドで朝食を取り、そのままベッドでおよそ2時間をかけて、ラジオを聴きながら新聞を読むのが習慣でした(読んだ分は、いつも床に放り投げていた)」
もちろん、チェーンスモーカーだった王女はその間、ずっとたばこを吸っていたそう。
そうして朝食を取りながら、2時間ほどのんびりと過ごし、世の中の最新ニュースをチェックした後、午前11時からはバスタイム(もちろん、入浴は侍女がお手伝いする)。
「お風呂で1時間ほど過ごした後、ドレッサーの前に座り、髪を整えてメイクを済ませ、きれいに洗濯された服に着替えます。多くの人が想像するとおりのプリンセスらしく、王女は洗いたての服以外は着たことがありませんでした」
正午ごろになると階下へ行き、景気づけの一杯としてウォッカを飲むのが、マーガレット王女のもうひとつの習慣だったそう。
ようやくその日初めてクイーンマザー(エリザベス女王とマーガレット王女の母)と顔を合わせるのは、午後1時ごろ。
「マーガレット王女とクイーン・マザーは、形式ばらずに銀食器で出される4品のコースのランチを取ります。ひとり1本ずつのハーフボトルのワインと、フルーツと半ダースほどの国産とヨーロッパ産のチーズと一緒に」
──これが、「退廃的な」王女の午前のルーティーン。
ぺんぺん草の独り言
絶世の美女に生まれ、しかも英国王室の王女なんだから、これ以上の幸せはないと思いきや、好きな人と結婚出来なかったことを終生引きずり、幸せではない生涯だったように思う。
しかし、仮にピーター・タウンゼント大佐と周囲の反対を押し切り結婚しても、愛は醒めたと思う。恋愛は障害が大きければ大きいほど燃え上がるから、眞子サン同様、燃え上がったと思うが、エドワード8世とシンプソン夫人のように王冠をかけてまでの大恋愛でも、愛は醒めて破綻した。
マーガレット王女はピーター・タウンゼント大佐と結婚出来なかったことで、生きがいを失ったようで、事実はわからないが、随分怠惰な生活を送っていたようだ。
今日食べるパンがないならパートに出てでも働くだろうが、金銭的な心配がないので余計に自堕落になっていったんだろう。
お金の心配があるということもある種の幸せかもしれないが、眞子サンのように降嫁して平民になったのに、いつまでも皇室を利用して金儲けするのはズルいよね。
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