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瑶子さま39歳誕生日
三笠宮家の瑶子さまが、10月25日、39歳の誕生日を迎えられた。瑤子さまは今年3月25日の埼玉県入間市で行われた「ヒアリングフレイル予防講習会」で低音型の感音性難聴であることを公表。障害者福祉活動を寛仁さまから引き継ぎ活動されています。
瑤子さま略歴
・1983年10月25日、ヒゲの殿下として親しまれた三笠宮家の寬仁さまと信子さまの次女としてお誕生。お印は星。
・10月31日に「瑶子」と命名。
・翌年4月27日に、母の信子さまと宮中三殿にご参拝。
・この時、昭和天皇と香淳皇后と初めてお会いになった瑶子さまは、身長63.7cm、体重7700gにすくすくと成長されていました。
・1987年から松濤幼稚園へと通園。この頃は、お父様からは「よーよー」「よー助」などと呼ばれていた。
・「性格が割とおおらか」と「ひげの殿下日記」には記されている。
・学習院で小中高、さらに学習院女子大学へと進学。
・初等科の5年生から剣道を始められた。
・初等科では、合唱部、オーケストラ部か剣道部に入らなければいけないという指定がある。
・瑤子さまは余り歌うことが好きではない。楽器が弾けるタイプでもないので、剣道部に入ろうとご両親にご相談したら殿下が「おまえに、そんなことができるわけがないだろう」ということで一年間は合唱部に入られた。
・しかし、やはり剣道部がいいと、5年生から剣道を始められた。
・今では5段の腕前である。
・学習院女子高等学校の3年の時には主将に。さらに大学でも女子副主将を務められた。
・今ではご公務で剣道大会を観戦しにお出ましになっている。
・2003年瑶子さまが成年となり、記者会見をなさっている。
・大変緊張されていたようで、会見の中でも、
「きのう最終的に夜、父と共に想定問答のようなものを致しました。『大丈夫だ、大丈夫だ』という風に言ってくださったのですけども、私の方が『そんなことないよ』と、余り自信がございませんでしたので。もうこのような機会は一度きりがいいな(笑)」
・さらにご自分のタイプについて、
「前向きでなく、後ろ向き」
「どちらかというと小心者」
「きょうの記者会見も、先ほどまで色々なところを行ったり来たりしながら『もうやだ』と(笑)」
と述べられてた。
・ただ、この会見を聞いた父の寬仁さまは、「ひげの殿下日記」の中で、「一週間前には私が、全部の質問に対して、日頃ヨー助がしゃべっている内容を元にして、文章を作りました」「後は、お前が工夫してしゃべるべし!」とも。

会見内容は髭の殿下が作ったそうです(笑)
・しかし会見後には「父は、本当に尊敬できる方だと思っております」などと答えられたことに満足されたようで、「将来のご結婚と理想の男性像」と言う質問に、「父のような…、父はちょっと細かすぎる所がありますので、ちょっと少なくした男性がいいかなと思っております」とお答えになり、記者席が大爆笑だったことを愉快とも綴られています。
・寬仁さまも、心配していた記者会見を、瑶子さまが見事に切り抜けられたことに安堵…というより目を細めて喜ばれたご様子だっただろうと感じました。
・大学ご卒業後は、日本赤十字社の嘱託職員にご就職。
・2006年12月から6年にわたり青少年・ボランティア課や血液事業本部販売・管理課で食卓ながら常勤で働く初めての女性皇族となられた。
・仕事場では、普通に電話ととったりし、「三笠瑶子」と名乗られていたとか…
・また、寬仁さまが亡くなられてからは、友愛十字社の名誉総裁、国際ユニバーサルデザイン協議会の名誉総裁(2013年8月から2019年7月まで)などを務め、宮中行事などにも出席されてきました。
難聴を明かされた瑶子さま
・瑶子さまは、2021年12月1日付けで名誉総裁に就任された、今年3月25日の埼玉県入間市で行われた「ヒアリングフレイル予防講習会」で法人の名誉総裁として初めて公式に出席し、お言葉を述べられた。
・ご自身が低音型の感音性難聴であり、「低い音が基本的にあまり聞き取れない、高音も苦手な部分があって聞き取れない部分がある」と話された。
・原因は、メニエール病になったことで、
「20代の頃から難聴になっているので、若い人たちでも起こりえる」
「難聴用の機材を含め、難聴と認知症は違うとか、ヒアリングフレイルというものをしていこうと、皆さまがそれぞれ思っていただけるように、私たちだけでなく協力し合っていければいいなあという風に思っております」
とお言葉を締めらた。
・「テレビの音量を50位にしても聞こえないことがある」
「皇室の警護に当たる護衛官と近くで話していても、何を話しているのか分からないときがある」
「話がかみ合わないときがあり聞き流してしまう…」
と話された。
・こうしたご体調のこともあり、ある社が瑶子さまに取材を申し込んだ。
・お願いを受けた瑶子さまから、記者たちに、共通の認識を持って頂きたいとの6月20日の日付が入った自筆の手紙が届いた。
・手紙には…
「数年前から現場(病院や施設など)の状況を知りたいと法人の中石理事長に話をし、私的に様々な現場に伺わせていただいていた」
「名誉総裁のお話をいただき、世の中の方々に知って頂けるチャンスとして、名誉総裁になることが良い方向になるのであればとお受けした」
・難聴のことを話されたことについては、「『瑶子』という人間を知っていただく上で、私が発した言葉に説得力が必要な場合には特に、プライベートな事柄であってもお話しすることはあります」
「障害者福祉活動は、まだまだ閉鎖的な所がありますし、心でぶつかっていかないと、納得や理解は得られないところだと経験上思っています」とも綴られていた。
・瑶子さまは、子どもの頃から、父・寬仁さまの福祉活動の場に同行し、その状況をご覧になってきた。
・「父が亡くなって、父が一番力を入れていた障害者福祉活動は9割は私が引き継いでいるわけですが、『まず父であったら、どう思うか?どう感じるか?』などを頭と心で考えて、そこに私の経験や体験や思いをプラスしてお話しさせていて頂いています」と記されていた。
・瑶子さまが名誉総裁として2回目の公式行事として出席されたのは、鹿児島県で行われた「快護生活フェス!特別講演会」だった。
・瑶子さまは、この会でもご自身の難聴に触れながら特別講演の中でお言葉を述べられている。。
・難聴の治療については、治療という形でしっかりはしていないものの、できる限り皆さんの話を聞くなり、自分も話し、声のボリュームを考えるなどの対策をとられているということです。瑶子さまも、comuoon(コミューン)という対話支援器具を使われている。
・また瑶子さまは、新型コロナウイルス感染症のためマスクをしていることに触れ、難聴であれば、口の動きを見てしまうので言葉を理解することが難しい状況になっていると話されている。
・そして、「私はとても話すことが好きなタイプで、やはり話すことをしなくなると、ストレスも溜まってきますし、それこそ孤独感を覚えると言うことを、この約3年思い続けてきました」
「もっともっと深く皆さまとお話しをしたり、学んでいきたいことも、マスクをしていて表情が読み取れないことによって(言葉も)分からない。自分のスキルが停滞していってしまうという現状があるので、やはり皆さまとは顔をつきあわせ、たとえ、けんか腰になってもいいですし、大きな口を開けて笑い合ったりすることでもいいですし、皆さまと交流、距離感というものを私は広げていきたい」とも述べられた。
・東京モーターショーで名誉総裁を務めたこともある。
・車にもご興味をお持ちの瑶子さま。この対応はもう「小心者」とは思えぬお姿だった。
・難聴という苦労を強いられながら、皇族として福祉活動に尽力されている。
・「私はお飾りになりたくないので、分からないなら、分からないなりの言葉で、聞いている皆さんに一行でも一言でも『あの人がこう言っていた』と記憶に残るようなお話しができたら良いなと思っています」
・ご自分の言葉で語られる瑶子さまの魅力はこんなところから来るのかもしれない。
出典:難聴を明かされた三笠宮家の瑶子さま きょう39歳の誕生日 寛仁さまの障害者福祉活動引き継ぐ
ぺんぺん草の独り言
FNNプライムオンラインの記事を一部、並べ変えたりして読みやすくしました。
出典は難聴を明かされた三笠宮家の瑶子さま きょう39歳の誕生日 寛仁さまの障害者福祉活動引き継ぐです。
並べ変えたりしないでそのまま引用として出すか、考えましたが、箇条書きにした方が読みやすいのでこうしました。文章の一部順序を変えたり、書き換えたり削除したり、追加したりは悠仁さまもなさって、引用元を明記しないで、まるで全てご自分が書いたようになさって賞まで受賞されて、賞は取り消されないのだから、許されるということなんでしょう。
引用元をしっかり明記しているし、問題ないですよね?